人にとって幸せの形は違う。
社会や世間一般で所謂出来上がってしまったルートに進まない道を外した生き方をした人間はクズだ、お先真っ暗だなどいう人は少なくはない。
現に私はとある地方の田舎に住んでいる人に言われたことがある。
私の場合、美大に入ったからという点が大きい気がするが、私には理解できなかった。
仕事以外でも当てはまる。
結婚のあり方、人との関係性のあり方とか。
最近私の大好きな小説家の江國香織さんの『きらきらひかる』を読み返した。
純粋に今を生きる人間がなぜ純粋に人を愛してはいけないのか、いや、言い方が違うな。
愛し方がただ人とは違うだけなのに何故異物のような目で見られなくてはならないのか、正しくないと評価を受けなくてはならないのか。
自分の人生なのになんで指図を受け、苦しまなくてはならないのか。
結婚して、セックスして、子供を授かって、子育てして、、、確かに普通の夫婦のあり方ではあると思う。
でも、結婚して、セックスしないで、子供授からないで、夫と夫の恋人と自分で楽しい愛おしい今を生きるのもアリだと思う。
この表現の仕方はなんだかしっくりこないが、別にセックスしない、夫がホモで恋人がいたってそこに愛があって毎日変わらず楽しく人生を過ごせるなら、その人にとってそれが一番の自然で幸せなら、他人にとやかく指図される必要はないだろう。
親が心配するのも、孫が欲しいのもわかる。
だけど、親が望んでいることが彼らにとって辛いことだとしたら、親も自分の子供の気持ちをくみ取るべきだと思う。
私はまだ結婚もしてないし、もちろん子供もいないからこんなこと言えるのかもしれない。
純粋に性を超えて愛せる人間がいることって究極の幸福だと思う。
現実に起きたらきっとこんなこと言えるというか考えることができるだろうか?
でもきっと、私も仕事のことで言われたように「なんで?どうして自分が生きたいように生きてはダメなの?」と強く悲しく思うだろう。
人が生きたいように生きればいいと思う、人にとって価値の物差しは違うのだから。